看護のお手本

11月6

1850年ごろまでは世界中で看護という専門的な仕事はありませんでした。
病人やけが人の看病は主に身内が全て行ってきました。
日本の昔話でも、病気のお父さんやお母さんを見る医者はいても、看病は身内がしている話がほとんどです。
1850年、クリミア戦争から帰還したナイチンゲールが、自らの看護経験を生かして「看護覚え書」という書物を出版します。
その影響を受けて、イギリスでは看護には知識や技術などが必要といわれるようになりました。
看護の定義が出来たのもこれがきっかけです
ナイチンゲールはその後、ロンドンに看護婦養成所を設立、本格的に看護の知識や技術を持った看護婦たちを輩出していきました。
それを手本に日本でも1915年に「看護婦規則」が制定され、日本の看護婦としての位置づけが出来上がりました。
1948年、第二次世界大戦が終了。
戦争による傷病者があふれかえります。
より高い看護の知識や技術が必要となり、日本はアメリカの看護婦制度をお手本にするようになりました。
国家資格を持ったものでなければ仕事につくことが出来ないという国家資格制度や、看護と保健、介護分野の一本化などがアメリカの看護婦制度をお手本に築かれていきました。
1970年代には男女平等、男女雇用均等などがうたわれ、これまで女性の領域であった看護婦の世界に男性が入ってくるようになりました。
これにより看護婦は看護師へと名前を変え、よりいっそう高度な看護術を目指して進んでいっています。
日本の看護はいまや世界でも高度な専門職といわれています。
その背景に海外のお手本があったことは忘れてはいけません。